神戸高速線の最近のブログ記事

鉄人28号(西代)

神戸出身の漫画家横山光輝氏の代表作「鉄人28号」のモニュメントが、地域活性化と新たな観光地づくり、阪神大震災からの復興のシンボルとして誕生しました。
ほかにもお店の人との対話が楽しめるお買い物、そして何よりおいしさと多様性と安さが魅力です。

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アスタくにづか1番館1Fにあるパンやさんのホルス

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アスタくにづか3番館の地下1階の西村川魚店

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長田神社(高速長田)

生田神社 湊川神社などと並び、神戸でもっとも長い歴史をもつ神社のひとつ。開運招福・厄除けのご利益があります。
昔たくさんの鶏が境内で放し飼いにされ、外国人からは「チキンテンプル」と親しまれたお寺で、室町時代から節分に行われている追儺式でも有名です。

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長田神社前商店街もにぎわっていて楽しいです。伝統ある和菓子があるんですよ。

ほうらく堂

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大正天皇が、大変賞味された「殿下まんじゅう」としても有名な、由緒あるお饅頭です。紅白まんじゅうでもない、酒饅頭でもない絶妙のしっとり感と甘さ。

住所:神戸市長田区5番町8丁目1-4
電話番号:078-576-0912

長田ういろや

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明治10年の創業時から味を守り通しています。
おもちのようなぽってりもちもちの食感「ういろ」は白と抹茶の2種類。
お値段も420円とお手軽価格ですばらしい。

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包装紙には確かに「長田神社に鶏がいた」図が。

住所:神戸市長田区長田町1丁目3-1
電話番号:078-691-0987

会下山公園には楠公湊川陣之遺蹟碑や牧野植物研究所跡の碑があります。

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「平家物語」の源平の戦いでも、重要な戦略拠点であり、楠木正成の陣があったと伝えられる場所です。
また ここには、大家族の上、経済観念が欠落していたため 標本を手放す危機にあった牧野富太郎を援助した神戸の資産家、池長孟が開設した「池長植物研究所」がありました。
標本は運び込まれたものの、一向に整理が進まず、結局、公開されることはなくこの事業は失敗したといわれています。


清盛七辯天

平清盛が兵庫津の無事完成と福原京の将来の発展を祈願して、安芸厳島神社を勧講し、福原京の周辺七か所に祀った清盛七辯天

花隈厳島神社(けんこう弁天)

花隈城築城にともない生田神社内→宇治川口(元町と神戸の中間地点)→花隈に戻ってきました。

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氷室神社(れんあい弁天)

仁徳天皇に氷が献上されたと伝えられる氷室
宮中一の美女といわれた小宰相と 清盛の甥 平通盛の伝説
があります。

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兵庫厳島神社(おしゃれ弁天)

清盛がここで、海の竜神のお告げを聞いたという伝説があります。
水の女神 弁財天  女性の守り神 淡嶋神社 が祀られていて 針供養も行われています。

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恵林寺(うんどう弁天)

1346年に開山した臨済宗のお寺で、「波除け弁天」をまつっています。

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済鱗寺(べんきょう弁天)

1493年開基。当初は「西蓮寺」でしたが、約80年後に海中から出現した阿弥陀仏像を本尊とし、魚類を供養していたことから済鱗寺に。
神戸大空襲によって本堂・庫裡・弁天堂などを焼失。
受験生の信仰もあついそう

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真光寺(おんがく弁天)

時宗の改祖、一遍上人が亡くなったお寺として有名。太古の昔、池に住んでいた大竜が、経ヶ島築造の際に祟りをなしたため、大日如来を祀って魂を鎮めたといういい伝えがあります。ンドのシタールをもった弁天さんがまつられています。

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和田神社(あんぜん弁天)

海路や交通安全の守り神として地元の方の信仰を集めています。

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蛭子神社・兵庫津の道(大開)

兵庫の町は平安時代から良好な港の町として知られていました。 平清盛の時代には、中国・宋との貿易の拠点として港の大修築工事が行われ、福原には一時都が置かれたこともあります。後に兵庫の町は兵庫津と呼ばれるようになり、海陸要衝の地として発展していくことになります。 室町時代には中国・明との貿易 江戸時代には瀬戸内海有数の港町として大いににぎわいました。 さらに明治時代には神戸経済を支える重要な地域として大きく変貌を遂げました。

和田神社

天御中主大神を主神に、蛭子大神・市杵嶋姫大神を相殿に祀っています。海路や交通安全の守り神として地元の方の信仰を集めています。 

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兵庫津の道、西国街道の中心に「柳原のえべっさん」として親しまれている蛭子神社があります。元禄以前から祀られていたことがわかります。
毎年、「十日えびす大祭」は商売繁盛や家内安全、学業成就を祈して多くの参拝者でにぎわいます。


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文政9年に創業し、昔からの焼き蒲鉾製法を守ってつくっている、名代 かいや焼とうし蒲鉾の工場があるんです。
お取り寄せもできますが、平日の午後、「鱧次第」で、できたぶんだけを売っています。
うわさ通り、おさかなの臭いのしない清潔な作業場。
使う魚は鱧のみで、なんともよい香り。
あまーい。
そしてすごくおいしい!としかいいようがございません。
時代を超えた品格が画像越しでも伝わってきそうです。

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薬仙寺 
行基が開山したと伝えられる時宗の寺院です。

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境内には平清盛が後白河上皇を幽閉した萱御所の跡碑があります。 元は寺の北、新川運河にありましたが、運河拡張工事により再建し、現在の地に移転してきました。後白河上皇はここから伊豆の源頼朝に平家追討の院宣をくだし、平家没落につながるのでありました。

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「薬仙寺」の名前の由来となった 寺の湧水が後醍醐天皇の頭痛を癒したという故事が伝わっています。

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兵庫の発展の基礎を築いた清盛の功績をたたえ、2004年に地域のシンボルとして建てられた清盛像(きよもりくん)
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能福寺
戦前までは奈良の大仏さまと鎌倉の大仏さまとともに「日本三大大仏」だったことは意外に知られていない兵庫大仏
戦時中の金属類回収令によって供出されたため、1991年に再建されたものなのです。
高さ 11M  重量 約60トン 蓮台の高さ 3M  台座の高さ 4M

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「清盛廟」が存在しますが、遺骨が埋葬された場所はまだ特定されていません。 平家物語では 1181年清盛が京都で没した後、六道珍皇寺近くの愛宕で荼毘にふし、寺の住職円実法眼が遺骨を持ち帰り葬ったと伝えられています。 (六波羅蜜寺と祇王寺にも清盛塚があります)

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真光寺
時宗の改祖、一遍上人が亡くなったお寺として有名です。 太古の昔、池に住んでいた大竜が、経ヶ島築造の際に祟りをなしたため、大日如来を祀って魂を鎮めたと伝えられています。

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清盛塚
兵庫県の重要文化財に指定されている十三重の石塔です。 平清盛のお墓と伝えられてきましたが、市電の道路拡幅工事のため移設されることになり、発掘調査の結果、墳墓ではなく、供養塔であることがわかりました。 

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来迎寺 
経ヶ島築造は潮流が速く、完成前に押し流され難工事を極めました。 
人柱になり、海に沈んだ17歳の清盛の侍童、松王丸を弔う寺院です。

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清盛の寵愛を受けた白拍子 祇王と妹の祇女のお墓も残されています。 清盛の心変わりの後、出家して移り住んだと言われるのが嵐山の祇王寺です。

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来迎寺のほど近く、築島水門の沿岸に清盛が築港する際に使用したとされていた花崗岩「石椋」です。調査の結果、古代大輪田泊の石材であると推定されています。

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金光寺 
清盛が大輪田泊改修の際、夢のお告げにしたがって発見した薬師如来像を本尊とし、創建したとされています。「兵庫薬師」の名前で知られています。

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兵庫運河

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御崎公園
子供の遊び場・芝生・サッカーのできる広場があり、家族みんなで楽しめるようになっています。旧神戸市電が展示してあります。

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新開地

三宮に市役所が移転する前は神戸の中心的市街地で、神戸一の繁華街でした。「B面の神戸」として、ツアー・コーナーを紹介したり、社会見学などのイベントを行って地域振興にも力をいれておられます。

鉄子さん的に記述すると、阪神・阪急・神鉄・山陽が乗り入れをし、有馬温泉に行くときの乗り換え駅でもあります。

湊川公園は明治44年に造成。園内には湊川合戦で知られる楠木正成の銅像や野外音楽堂、噴水広場などがあります。
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大正12年に「元祖和風中華料理」を掲げた初代のアイデアによる豚マン専門店です。味噌味の餡とウスターソースをつけて食べる、これまで食べたことないタイプの豚マンです。その日の天気によって皮の配合を決めるというこだわり。

住所:神戸市新開地2-7-5
電話番号:078-575-0078

新開地から、高速神戸にかけては、神戸アートビレッジセンターや、大衆演劇の楽しめる「新開地劇場」などのアートゾーン。居酒屋が多いエリアでもあります。

エデンは昭和22年創業のレトロな喫茶店でタイプスリップ気分が味わうことができます。客船の内装を専門にした神戸のメーカーが、船のキャビンを模して作った店内は当時のハイカラの先端をいっていたことがうかがえます。
創業当時50円が相場だったコーヒーを100円で出していたというのですから、今で言えば800円くらい?コーヒーを外で飲む習慣がそれほどなかった時代ですから、お客さんも洗練されてたんでしょうね。

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住所:神戸市兵庫区湊町4-2-13
電話番号:078-575-2951
神戸の「水の科学博物館」は、大正時代に建てられた「奥平野浄水場旧急速ろ過場上小屋」を保存活用した建物が素敵な博物館。地下鉄大倉山駅から歩いて15分くらい、または三宮から市バス7系統、「楠谷町」で下車すると、看板が出ていますのですぐわかります。

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実験を通して水の特性や、水のサーカス展示を通じて力学などを体験型展示を通じて学べます。ちょっと高台にあるので、神戸の風景も見渡せます。

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地下鉄大倉山駅の北側に広がる大倉公園は梅の名所としても知られています。全国の都道府県の木が植えられ、季節ごとの花々が楽しめる「ふるさとの森」野球場や神戸市立中央図書館・ホールなどがそろっています。

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南北朝時代の武将、楠木正成公を祀る神社で、「楠公さん」と地元の人に親しみをこめて呼ばれている湊川神社の宝物殿。
刀剣、武具類100点、工芸品・書軸・絵画、正成直筆の法華経奥書、鎧など、正成ゆかりの品を300点展示しています。

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幻の福原京を歩く

平野商店街・手作りのまちおこしやん「ひらの塾」
平野の史跡を守り、伝えるために9年前から活動をされています。
「平安遷都祭り」では平安時代の公達をイメージした衣装を着て街を練り歩くのだそうです。


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「平野」のバス停に設置されたモニュメント

音戸の瀬戸を(広島県呉市)日宋貿易のために開削した時、沈みゆく太陽を扇で招いて呼び戻し1日で難工事をなしとげたという伝説から。
また、音戸の瀬戸の工事には人柱ではなく、一石に一字を書いた経を海に沈めたという伝説も残っています。
また、経ヶ島築造の際も、同様に 公卿らが占いに従って人柱をたてようとしたのに反対し、経文を書いた石を沈めたという記述が「平家物語」にあります。

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平野市場跡から 平安時代後期の掘立柱建物・井戸・柵列・溝 弥生時代中期から後期の竪穴建物、輸入陶磁器や京都系の土師器などが多数出土しました。

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楠・荒田遺跡 

神戸大学付属病院構内は清盛の弟、平頼盛の邸宅の中心域と言われていて、 平安時代後期の二重壕が発見されました。

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荒田八幡神社 
福原遷都の際に安徳天皇の仮御所となりました。

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1980年に建てられた福原遷都八百年記念碑

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雪見御所旧跡 清盛が大政大臣を辞した後 12年間住んだ別荘跡です。

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湊川上温泉
 「山塊記」に雪見御所の近くにあったと記録されている湯屋(温泉) 現在の温泉とほぼ同じ場所にあり、清盛も豊臣秀吉も湯治に訪れたと言われています。

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祇園神社
869年、姫路にある広峰神社から京都八坂神社にスサノオノミコトの分霊を移す途中、この地で一泊したことが由来とされています。

清盛は裏山の上伽寺という山寺で海潮の響きを聞きながら経ヶ島築造の構想を練ったと言われています。

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氷室神社 兵庫津の無事完成と福原京の将来の発展を祈願して、安芸厳島神社を勧請し、福原京の周辺七か所に祀った清盛七辯天のひとつ

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ここから仁徳天皇に氷が献上されたと伝えられる氷室。

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夢野八幡神社 清盛が福原遷都に先駆けて創建。
福原の全域を展望できる場所で、のろしをあげて新都の位置を測ったと伝えられています。

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熊野神社 清盛が福原遷都の際に、守護のために紀州熊野権現を勧請した神社で国生み神話の主人公 イザナギとイザナミを祀っています。

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願成寺 一の谷合戦で戦死にした平通盛(清盛の甥)の供養塔があります。

厳島神社 清盛七辯天のひとつ。治水のために建てたと言われています。 

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宝地院 壇ノ浦の戦いで8歳で崩御した安徳天皇の菩提を弔っています。

東福寺 平安時代 上迦寺と称し、清盛によって「潮音山」という山号と七堂伽羅を構えていました。

善光寺 一の谷合戦で戦死にした平業盛(清盛の甥)の塚があります。

こべっこランド(高速神戸)

ハーバーランドにあるこべっこランド
無料で利用できて、眺望のいいお弁当広場もあります。
事前申し込みが必要なものや有料のものもありますが、親子で参加できるさまざまなイベントもありますよ。

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住所:神戸市中央区東川崎町1-3-1
電話番号:078-382-1300
アクセス:高速神戸より徒歩10分

はねっこ広場

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ビルの谷間、線路沿いにSLもあるんですよ?

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阪急と山陽、阪神と山陽それぞれを結ぶ神戸高速鉄道は線路と駅はありますが、車両をもたないという特殊な鉄道会社として運営されていましたが、2010年から運営体制が変更され、現在は「三宮?高速神戸」が阪急神戸高速線となっています。

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花隈駅を出て東に向かうとすぐのところにある花隈公園
織田信長が荒木村重に命じて築城させた花隈城跡を整備した公園です。
花隈城は、東は現在の兵庫県公館、西は現在の本願寺神戸別院にまで及ぶ大要塞だったそうです。

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福徳寺は天守閣跡地といわれています。

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神戸中華同文学校

1899年に神戸に住む華僑師弟のために設立された学校です。日本語科以外のすべての授業は中国語で行われているそうです。
孫文も訪れたことのある神阪中華会館の跡地もありますよ。

舞子にある移情閣・孫文記念館は中国の革命家・政治家・思想家である孫文を顕彰する日本で唯一の博物館です。

孫文と神戸のかかわりを中心に、移情閣(国の重要文化財に指定)の変遷などに関する展示が行われています。
機会があればこちらも訪れてみてくださいね。

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関帝廟

「三国志」の英雄「関羽」を本尊に祀った廟で、中国だけでなく、日本国内でも横浜・函館・沖縄にもあるそうです。

関羽は信義に厚く、義理堅いことで、神戸の華僑たちから尊敬され、信奉されている商売の神様なのだそうです。

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中門

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四阿(あずまや)

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本願寺神戸別院(モダン寺)

浄土真宗本願寺派で西本願寺直属の別院です。

ビルマ寺院を彷彿させる建築からモダン寺の愛称で読まれています。本堂のブロンズ像など仏教寺院にしては珍しい装飾品も多いそうです。

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