平野商店街・手作りのまちおこしやん「ひらの塾」
平野の史跡を守り、伝えるために9年前から活動をされています。
「平安遷都祭り」では平安時代の公達をイメージした衣装を着て街を練り歩くのだそうです。


音戸の瀬戸を(広島県呉市)日宋貿易のために開削した時、沈みゆく太陽を扇で招いて呼び戻し1日で難工事をなしとげたという伝説から。
また、音戸の瀬戸の工事には人柱ではなく、一石に一字を書いた経を海に沈めたという伝説も残っています。
また、経ヶ島築造の際も、同様に 公卿らが占いに従って人柱をたてようとしたのに反対し、経文を書いた石を沈めたという記述が「平家物語」にあります。
平野市場跡から 平安時代後期の掘立柱建物・井戸・柵列・溝 弥生時代中期から後期の竪穴建物、輸入陶磁器や京都系の土師器などが多数出土しました。
楠・荒田遺跡
神戸大学付属病院構内は清盛の弟、平頼盛の邸宅の中心域と言われていて、 平安時代後期の二重壕が発見されました。




清盛は裏山の上伽寺という山寺で海潮の響きを聞きながら経ヶ島築造の構想を練ったと言われています。
氷室神社 兵庫津の無事完成と福原京の将来の発展を祈願して、安芸厳島神社を勧請し、福原京の周辺七か所に祀った清盛七辯天のひとつ
ここから仁徳天皇に氷が献上されたと伝えられる氷室。
夢野八幡神社 清盛が福原遷都に先駆けて創建。
福原の全域を展望できる場所で、のろしをあげて新都の位置を測ったと伝えられています。
熊野神社 清盛が福原遷都の際に、守護のために紀州熊野権現を勧請した神社で国生み神話の主人公 イザナギとイザナミを祀っています。
願成寺 一の谷合戦で戦死にした平通盛(清盛の甥)の供養塔があります。
厳島神社 清盛七辯天のひとつ。治水のために建てたと言われています。
宝地院 壇ノ浦の戦いで8歳で崩御した安徳天皇の菩提を弔っています。
東福寺 平安時代 上迦寺と称し、清盛によって「潮音山」という山号と七堂伽羅を構えていました。
善光寺 一の谷合戦で戦死にした平業盛(清盛の甥)の塚があります。