蛭子神社・兵庫津の道(大開)

兵庫の町は平安時代から良好な港の町として知られていました。 平清盛の時代には、中国・宋との貿易の拠点として港の大修築工事が行われ、福原には一時都が置かれたこともあります。後に兵庫の町は兵庫津と呼ばれるようになり、海陸要衝の地として発展していくことになります。 室町時代には中国・明との貿易 江戸時代には瀬戸内海有数の港町として大いににぎわいました。 さらに明治時代には神戸経済を支える重要な地域として大きく変貌を遂げました。

和田神社

天御中主大神を主神に、蛭子大神・市杵嶋姫大神を相殿に祀っています。海路や交通安全の守り神として地元の方の信仰を集めています。 

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兵庫津の道、西国街道の中心に「柳原のえべっさん」として親しまれている蛭子神社があります。元禄以前から祀られていたことがわかります。
毎年、「十日えびす大祭」は商売繁盛や家内安全、学業成就を祈して多くの参拝者でにぎわいます。


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文政9年に創業し、昔からの焼き蒲鉾製法を守ってつくっている、名代 かいや焼とうし蒲鉾の工場があるんです。
お取り寄せもできますが、平日の午後、「鱧次第」で、できたぶんだけを売っています。
うわさ通り、おさかなの臭いのしない清潔な作業場。
使う魚は鱧のみで、なんともよい香り。
あまーい。
そしてすごくおいしい!としかいいようがございません。
時代を超えた品格が画像越しでも伝わってきそうです。

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薬仙寺 
行基が開山したと伝えられる時宗の寺院です。

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境内には平清盛が後白河上皇を幽閉した萱御所の跡碑があります。 元は寺の北、新川運河にありましたが、運河拡張工事により再建し、現在の地に移転してきました。後白河上皇はここから伊豆の源頼朝に平家追討の院宣をくだし、平家没落につながるのでありました。

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「薬仙寺」の名前の由来となった 寺の湧水が後醍醐天皇の頭痛を癒したという故事が伝わっています。

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兵庫の発展の基礎を築いた清盛の功績をたたえ、2004年に地域のシンボルとして建てられた清盛像(きよもりくん)
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能福寺
戦前までは奈良の大仏さまと鎌倉の大仏さまとともに「日本三大大仏」だったことは意外に知られていない兵庫大仏
戦時中の金属類回収令によって供出されたため、1991年に再建されたものなのです。
高さ 11M  重量 約60トン 蓮台の高さ 3M  台座の高さ 4M

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「清盛廟」が存在しますが、遺骨が埋葬された場所はまだ特定されていません。 平家物語では 1181年清盛が京都で没した後、六道珍皇寺近くの愛宕で荼毘にふし、寺の住職円実法眼が遺骨を持ち帰り葬ったと伝えられています。 (六波羅蜜寺と祇王寺にも清盛塚があります)

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真光寺
時宗の改祖、一遍上人が亡くなったお寺として有名です。 太古の昔、池に住んでいた大竜が、経ヶ島築造の際に祟りをなしたため、大日如来を祀って魂を鎮めたと伝えられています。

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清盛塚
兵庫県の重要文化財に指定されている十三重の石塔です。 平清盛のお墓と伝えられてきましたが、市電の道路拡幅工事のため移設されることになり、発掘調査の結果、墳墓ではなく、供養塔であることがわかりました。 

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来迎寺 
経ヶ島築造は潮流が速く、完成前に押し流され難工事を極めました。 
人柱になり、海に沈んだ17歳の清盛の侍童、松王丸を弔う寺院です。

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清盛の寵愛を受けた白拍子 祇王と妹の祇女のお墓も残されています。 清盛の心変わりの後、出家して移り住んだと言われるのが嵐山の祇王寺です。

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来迎寺のほど近く、築島水門の沿岸に清盛が築港する際に使用したとされていた花崗岩「石椋」です。調査の結果、古代大輪田泊の石材であると推定されています。

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金光寺 
清盛が大輪田泊改修の際、夢のお告げにしたがって発見した薬師如来像を本尊とし、創建したとされています。「兵庫薬師」の名前で知られています。

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兵庫運河

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御崎公園
子供の遊び場・芝生・サッカーのできる広場があり、家族みんなで楽しめるようになっています。旧神戸市電が展示してあります。

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このブログ記事について

このページは、Yukariが2011年11月29日 21:06に書いたブログ記事です。

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