南清水古墳・大塚山古墳・猪名寺廃寺跡(稲野)

南清水古墳

古墳時代中期の前方後円墳で、東西に主軸をおいています。現在は後円部に須佐男神社がまつられています。原型を失っていますが、周濠はほぼ旧状を保っていると推定されます。古墳の規模は全長40メートルで墳形は小さな方形の壇状の突出部が作り出された珍しい帆立貝式古墳です。周辺では伊丹市御願塚古墳が典型的な例として知られています。

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大塚山古墳

大塚山古墳は、全長約45m、後円部径約24mの周囲に濠を巡らした前方後円墳です。昭和初期土取り作業によって破壊されましたが、木棺を粘土でかためた粘土槨と木炭層をもった竪穴式土壙から五鈴鏡・鉄刀・鉄鏃・馬具・工具・玉類・土器などが大量に出土しました。現在約二分の一に縮小して公園内に復元しています。副葬品や検出された埴輪や須恵器から6世紀の前半に造られたと推定されます。
中ノ田遺跡は、山陽新幹線建設に伴う分布調査によって発見された弥生時代から奈良時代まで続く集落跡です。猪名寺廃寺に類似する瓦や二彩土器・硯・石帯の出土などから猪名寺廃寺とも関連する遺跡であろうと考えられています。

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猪名寺廃寺

森を背景に法園寺のお堂と庫裏、伊丹の猪名野神社本宮がたっています。伽藍は1577~1578年の荒木村重と織田信長の合戦の際に焼失したと考えられています。 法隆寺式の伽藍配置を持つ攝津地域の古代寺院の典型で、阪神間では最もよく旧状を残している廃寺跡です。塔と金堂が東西に並び、これを中門からでる回廊が囲み、講堂がその北側に配されています。塔心礎は円形凹状柱座をくりこみ、柱座とは別に同一石面上に舎利孔をもっています。また各基壇や周囲の階段は凝灰岩でつくられています。出土した遺物の大半は瓦類で、白鳳時代~室町時代にわたっています。特に白鳳時代の軒瓦は、「川原寺式」と呼ばれているものです。

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このページは、Yukariが2011年7月 2日 14:39に書いたブログ記事です。

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