忍たま乱太郎地名巡り(5)

神崎川のほとり「常光寺」
字は違うのですが、真言宗の別格本山であり、弘法大師が創建したといわれている「浄光寺」があります。

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「今福」
平清盛のもとでの権力者、五条大納言藤原邦綱の別荘、寺江亭があります。神崎川の河尻の港に位置した別荘には、京と西国を移動する貴人たちが訪れ、川から直接邸内に船に入ったまま入ることができ、建物の豪華さは京都の屋敷にひけをとらなかったといいます。
平家の勢いや、当時の身分制度の差が伺えますね。

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「左門」という地名はありませんが、尼崎市の北東端には「左門橋」がかかり、「左門殿川」が流れています。こちらを渡ると大阪市。

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地名 杭瀬村として登場する「杭瀬」
杭瀬駅 尼崎城の築城と同時に城下町として造営された杭瀬熊野神社  杭瀬商店街

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「金楽寺」 
「金楽寺貝塚」は吉備彦神社境内にあります。
土器類、漁貝類、瓦類、土製品、古銭などの発掘物は平安時代前期から中期までのものがほとんどです。皇朝十二銭や縁釉陶器は長洲浜の経済活動や、都との関係を想像させてくれます。

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住所としては「長洲本通」になるのですが、
菅原道真公が、醍醐天皇の時代に、左大臣藤原時平氏の陰謀により、筑紫の大宰府に左遷される道中船で淀川をくだり神崎川を経て大物が浦で潮待ちのため、下船し、この周辺を散策していました。足元が砂で汚れていたのを村の老婆が見かねて洗ったと言い伝えられている池が「長洲天満神社」に隣接しています。

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幼少の頃より文学に優れ、三十三歳にして時の帝より文章博士号を受賞され政治家としても右大臣近衛大将に任せられ従二位に叙せられたほどの天才肌の学者。
「出る杭は打たれる」のは昔からの習いとはいえ、不条理な話です。

「西長洲本通」 
住所にはないのですが、西長洲本通という名のバス停の近くには「尼崎市立記念公園」があります。総合体育館では、国際的、全国的な競技会が開催されるだけではなく、大規模集会、各種イベントなどの文化行事の拠点になっています。

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作品中の村の地名として「小田」が登場します。

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大日本紡績 尼崎工場跡 大物公園と小田南公園に挟まれた地域には 条里制に由来する地名「二ノ坪」

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「浦風」
源義経が長洲・大物の浦から船出をしたと推定される「琴の浦」地域。

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このページは、Yukariが2011年7月 5日 01:26に書いたブログ記事です。

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