文化財の最近のブログ記事

武庫之荘の初詣

富松神社


開拓と農業の神様スサノオノミコトを祀っています。初詣にはたくさんの人が参拝します。


アクセス 阪急武庫之荘から48番「尼崎北小学校」下車 徒歩5分 MAP

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西武庫須佐男神社

東には東武庫須佐男神社もあります。境内には県の文化財、西武庫十三重の塔もあります。

アクセス 阪急武庫之荘から45・46「武庫営業所ゆき」西武庫団地前下車 MAP

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磐長姫神社

岩のごとき頑強さの象徴であり、延命、家運長久を祈るところとされています

アクセス 阪急武庫之荘駅から西踏切へ 徒歩8分 MAP

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守部素盞嗚神社

お盆の時期には「守部観音踊り」が開催されます。

アクセス 阪急武庫之荘から47「武庫営業所ゆき」守部公園下車 MAP

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生島神社

安産祈願、合格祝賀、七五三のほか、地鎮祭、竣工式、交通安全、厄除け、家内安全などを祈願する神社です。拝殿、本殿、社殿があり、本格的な神社です。

アクセス 阪急武庫之荘駅から48番「立花支所」下車 徒歩5分 MAP

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武庫之荘周辺の文化財(2)

上ノ島弥生遺跡

尼崎最古の遺跡。立花中学校の北西端に位置します。当時使われていた土器や石器のほか炭化米・ブドウ・マクワウリ・フクベ・ヒシなどの植物の種子や建築用材と考えられる材なども出土しました。再現図が描かれています。

アクセス 阪急武庫之荘から47番または15番「裁判所」下車 徒歩5分 MAP

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五輪卒塔婆

三反田町の西南端にあたる八幡宮の跡地にあたります。一石で彫成された方柱状につくられました。この五輪卒塔婆は花崗岩製で、先端から基礎までの高さは221.5cm、地上部分の高さは151cmあります。室町時代の応永年間(1394から1428)の塔と推定され、市内では最古・最大と推定されます。東西2面に地蔵、南面に薬師、北面に弥陀の尊像が刻まれています。

アクセス 阪急塚口から31番「三反田」下車 徒歩2分 MAP

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尼崎市立文化財収蔵庫

市立尼崎高校の前身である尼崎市立高等女学校の公社として建てられた建物を活用しています。尼崎市内の遺跡から発見された考古資料、寄贈を受けた民俗資料を展示し、文化財保護の事業をになっています。

9:00-17:30
休館日 土・日・祝日・年末年始
入館料 無料 玄関での署名が必要です。
団体で見学の場合は事前申し込みが必要です。

アクセス 阪神尼崎から徒歩10分 MAP

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水堂古墳

水堂須佐男神社境内にあります。原形が著しく損なわれていますが、全長約60mと推定される古墳時代前期の前方後円墳です。1962年発掘調査が行われ、後円部から粘土槨に覆われた長さ約9m、幅約0.7mの割竹形木棺が見つかりました。木棺の内側は朱が塗られ、粉骨状になった骨と歯があり、鉄刀、短剣、鉄槍、三角縁三神四獣鏡(径23cm)、胡ろく(矢筒)などが副葬されていました三角縁吾作四獣鏡は奈良県黒塚古墳、神戸市西求女塚古墳と同型鏡です。

アクセス JR立花から西へ徒歩10分 MAP

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水堂宝篋印塔

常春寺境内にあります。総高248.8cmの花崗岩製で南北朝中期頃(14世紀中頃)のものです。尼崎市内に残された宝篋印塔としては唯一ほとんど完全な姿を保っている貴重な資料です。

アクセス JR立花から西へ徒歩10分 MAP

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光輪寺

1531年開基。桃山時代の作風を伝える「顕如上人画像」が保管されています。

アクセス JR立花から南西へ徒歩10分 MAP

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浜田川水論牢死者墓碑

用水確保は農民たちにとって死活問題であり、江戸時代の後半、浜田村と西難波村との間で度々水争いがありました。1764年に起きた騒動は、浜田西側の田に水を引くため、水路をつくったことによるものです。このため村の役職者などが入牢し、全員死亡しました。その霊を弔うため牢死者10名の名前を刻んだこの碑を安永1775年浄専寺境内に建て、戦後現在地に移転されました。毎年4月15日に合同で法要を営んでいます。

アクセス JR立花から30番「浜浦町」下車 MAP

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松原神社

スサノオノミコト・三輪名神とともに崇徳上皇が祀られています。保元の乱に敗れ、讃岐に流される途中、大風雨を避けてこの地に休息した時、村民が、このしろ、はまぐり、かき、よめな、ごぼう、やき米などでもてなしたと伝えられています。その由縁から没後も御霊を慰め、おまつりするに至ったと言われています。

アクセス JR立花から30番「浜浦町」下車 MAP

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東光寺

浄土宗知恩院の末寺で、1593年の創建です。山門の向かって右側には五輪卒塔婆が完全な形をのこしています。蓮華座上に合掌する地蔵立像を刻出しています。写真の向かって左から2番目の阿弥陀坐像板碑は高さ112.1cmで鎌倉時代後期に造立された尼崎では最古の板碑です。古くからこの地域が栄えていた証拠といえるでしょう。

アクセス 阪急武庫之荘またはJR立花から43・49番「今北」下車 MAP

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武庫之荘周辺の文化財(1)

髭の渡し

甲武橋(国道171号線)の北側に、江戸時代に存在した、武庫川を越える西国街道の渡し場跡です。東から西への川越えは尼崎市の常松村と昆陽村が、西から東への川越は西宮市の段上村、上大市村、下大市村が交代で担当していました。参勤交代の大名や、往来の旅人などに利用されていた渡し場は、今は整備され、秋にはコスモスが美しく咲き誇ります。

武庫之荘から尼崎市バス40番・41番「髭茶屋」下車武庫川に向かって歩いて徒歩5分 または45・46番 終点「武庫営業所」下車 徒歩10分

阪急甲東園から東へ徒歩20分 MAP

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西武庫十三塔

鎌倉時代後期に建設されました。須佐男神社境内にあります。

アクセス 阪急武庫之荘から45・46「武庫営業所ゆき」西武庫公園前下車 MAP

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守部十三重塔

花崗岩製の層塔で相輪までそろっていますが6層目以上は後補されています。元の高さは4.8メートル。塔身には金剛界四仏の種子を薬研彫しています。造立は鎌倉時代1315年頃と考えられています。守部素盞嗚神社の隣にあります。

アクセス 阪急武庫之荘から47「武庫営業所ゆき」守部公園下車 MAP

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武庫庄遺跡

弥生時代の集落跡。これまでの調査で竪穴住居跡、方形周溝墓などの溝跡、土坑や土器・石器・サヌカイト片などの遺物が出土しています。国内最大の巨大高床建物が存在したと推定されています。跡地にある公園は桜でも有名です。

アクセス 阪急武庫之荘から40「武庫東小学校」下車 南西へ徒歩5分 MAP

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武庫庄

鎌倉時代から戦国時代にかけて存在した荘園跡。鎌倉時代のものと思われる十三重石塔の残欠にかつてのなごりをとどめています。

アクセス 阪急武庫之荘から48「武庫庄」下車北西へ徒歩5分 MAP

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富松城跡


中世の城郭の原型をとどめた土塁の一部と堀跡が現存する貴重な室町期の館城跡です。

アクセス 阪急武庫之荘から43番または48番「富松城跡」下車 MAP

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大井戸古墳

古墳時代後期の直径約13mの円墳です。この時期の古墳は丘陵上に多くの小古墳をかためて造る「群集墳」の形態を取るのが普通で、平野部に単独で造られた古墳として珍しい例です。昭和43年に確認のための調査を行い、石室は花崗岩の自然石を使用した横穴式石室で、長さ約6M、幅約1.5Mで南を入り口としていることがわかりました。古墳の上に盛土をして保存されている大井戸公園はバラが美しいことでも有名です。

アクセス 阪急武庫之荘から南へ徒歩7分 MAP

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富松薪能と尼崎薪能

尼崎では、伝統文化であり、夏の風物詩である「薪能」がなんと北と南で2回楽しめます。その上入場無料です。かがり火に照らし出された幽玄の世界と伝統芸能の魅力にひたりましょう。 

富松薪能(富松神社)

「山村雄研会」と「富松薪能の会」が1980年から行っている伝統行事です。
実施日は毎年7月26日で、雨が少ない日の統計をとって決めたそうです。

尼崎薪能(大物川緑地野外能舞台)

謡曲「船弁慶」の源義経と静御前の別れの場として有名な大物で毎年8月5日に開かれています。
尼崎市総合文化センター・尼崎市・尼崎能楽会の主催です。

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「船弁慶」ゆかりの地

阪神大物駅の南にあります「大物主神社」

源義経が京から家臣の弁慶などとともに大物へ逃れてきて大物浦からの船出を控えた主従が、当地に身を潜めていたといわれている神社です。

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境内は「義経弁慶隠家跡碑」が立っています。かつて大物の浦はこの社前まで通っていたといわれています。

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辰巳八幡神社境内にある、「静名残の橋碑」です。

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富松神社

富松城跡は、中世の城郭の原型をとどめた土塁の一部が現存する貴重な室町期の館城跡です。

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開拓と農業の神様スサノオノミコトを祀る、富松神社。初詣にはたくさんの人々が参拝します。本殿は1636年に社司良雄が再建したものでその後、1653年、1671年など数回の修理を経て今回にいたりました。本殿は一間社春日造で正面の扉やふち周りに補修の跡が見られますが、そのほかはよく保存されています。組物、墓股などは極彩色で壁には絵画が描かれており、華麗な桃山時代の余風をよく伝えています。1968年、兵庫県指定文化財に指定されました。

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 「富松」の名産品「富松一寸豆」は、肉質がやわらかい上に、味もよくほかの地方のものに比べて大きく、径一寸もあったことからこの名前で呼ばれています。

明治時代には皇室に献上され、富松の地でしか、大きく育たない歴史的にも貴重なお豆です。

豆祭りは、農家の皆さんが収穫された富松一寸豆をご神前にお供えし、郷土の平安と地域の発展を祈願するお祭りです。

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富松神社のすぐ近くにあります「彩花苑

赤飯、山菜おこわ、紅白まんじゅう、創意工夫がこらされた各種和菓子、冷たいデザート、アイスクリームと豊富に品物が揃っています。

一寸豆を透明な琥珀羹に入れ、上品な味わいを生かした「富松 一寸豆」

白あんにマロングラッセをたっぷりいれて、バターのはいった皮に包んだ「名月姫」

黒糖味とカリカリ食感とあんこの組み合わせがはまる「かりんとう饅頭」も大人気

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忍たま乱太郎地名巡り(6)

「竹谷」は阪神出屋敷周辺です。
出屋敷商店街は、寺島しのぶさんが自ら読書カードを出して主演を熱望するほどほれ込んだ「赤目四十八瀧心中未遂」のロケ現場になりました。(阪神尼崎駅も登場します。)

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「中在家」 
阪神尼崎から五合橋線を南下し、43号線を越えたところにある聖地の中でも小さな区域です。1618年に開始された尼崎城の築城にともなって、住人らを城の西方に移らせ新たに建設し、魚市場・魚問屋で栄えた町です。

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「初島」は阪神大物南の工業地帯です。東部浄化センターからは工場が眺められますよ。

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初島稲荷神社内には「歌枕 浦の初島」という碑が立っています。世阿弥の能「芦刈」や祇園祭の「芦刈山」に登場する「芦を刈る男の住む難波の浦」は浦の初島にルーツがあるのだとか。

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忍たま乱太郎地名巡り(5)

神崎川のほとり「常光寺」
字は違うのですが、真言宗の別格本山であり、弘法大師が創建したといわれている「浄光寺」があります。

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「今福」
平清盛のもとでの権力者、五条大納言藤原邦綱の別荘、寺江亭があります。神崎川の河尻の港に位置した別荘には、京と西国を移動する貴人たちが訪れ、川から直接邸内に船に入ったまま入ることができ、建物の豪華さは京都の屋敷にひけをとらなかったといいます。
平家の勢いや、当時の身分制度の差が伺えますね。

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「左門」という地名はありませんが、尼崎市の北東端には「左門橋」がかかり、「左門殿川」が流れています。こちらを渡ると大阪市。

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地名 杭瀬村として登場する「杭瀬」
杭瀬駅 尼崎城の築城と同時に城下町として造営された杭瀬熊野神社  杭瀬商店街

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「金楽寺」 
「金楽寺貝塚」は吉備彦神社境内にあります。
土器類、漁貝類、瓦類、土製品、古銭などの発掘物は平安時代前期から中期までのものがほとんどです。皇朝十二銭や縁釉陶器は長洲浜の経済活動や、都との関係を想像させてくれます。

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住所としては「長洲本通」になるのですが、
菅原道真公が、醍醐天皇の時代に、左大臣藤原時平氏の陰謀により、筑紫の大宰府に左遷される道中船で淀川をくだり神崎川を経て大物が浦で潮待ちのため、下船し、この周辺を散策していました。足元が砂で汚れていたのを村の老婆が見かねて洗ったと言い伝えられている池が「長洲天満神社」に隣接しています。

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幼少の頃より文学に優れ、三十三歳にして時の帝より文章博士号を受賞され政治家としても右大臣近衛大将に任せられ従二位に叙せられたほどの天才肌の学者。
「出る杭は打たれる」のは昔からの習いとはいえ、不条理な話です。

「西長洲本通」 
住所にはないのですが、西長洲本通という名のバス停の近くには「尼崎市立記念公園」があります。総合体育館では、国際的、全国的な競技会が開催されるだけではなく、大規模集会、各種イベントなどの文化行事の拠点になっています。

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作品中の村の地名として「小田」が登場します。

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大日本紡績 尼崎工場跡 大物公園と小田南公園に挟まれた地域には 条里制に由来する地名「二ノ坪」

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「浦風」
源義経が長洲・大物の浦から船出をしたと推定される「琴の浦」地域。

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忍たま乱太郎地名巡り(4)

「久々知」
広済寺・近松の墓・近松記念館・近松公園を中心とした「近松の里」があります。これだけでもかなり見ごたえがあります。
「日本のシェイクスピア」と名高い近松門左衛門は 1653年 福井に生まれ、父が仕官を辞するとともに京都に下りました。京都では一条恵観などの公卿に仕え、やがて浄瑠璃、歌舞伎役者として活躍しました。
1706年以降は大阪に移住。尼崎にも来遊しました。
1724年11月22日、天満に没し、尼崎の広済寺と谷町法妙寺に葬られました。

「曽根崎心中」「冥土の飛脚」「国性爺合戦」「心中天の網島」などは劇作として高い評価を受けています。

近松公園
回遊式の日本庭園を中心に、四季折々の風情を楽しめるオアシス。記念館では、梯子や文机、自筆の手紙などの近松門左衛門ゆかりの品を展示しています。

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広済寺は近松公園に隣接しています。元は禅寺でしたが、荒廃していたところを、日昌上人が、法華経の道場として再興したわけですが、この時近松門左衛門が大いに貢献しました。近松門左衛門墓所は国指定史跡です。

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近松公園から南へ行くと、
「下坂部」昭和の香りがするその名もずばり「下坂部商店街」、「下坂部遺跡」があります。

「次屋」 アメリカンなお買い物が楽しめるコストコがあります。

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あまがさき緑遊新都心COCOEがオープンした
「潮江」には一度に地名が集まるプレートも 

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「潮江公園」というのもありまして・・・バラの時期はとってもきれいです。かつて海岸地帯に堤防を築いてつくられた荘園があり、「塩」と「江」が地名の由来といわれています。

尼崎は、古代は陸地が海に向かい、中世は港町として栄え、近世は尼崎城を拠点として漁業や商業が栄え、近代は工場が臨海地域に次々と建てられ・・というように歴史的に「海とのつながりをもつ市」なのですよ。

「神崎」 
神崎川は784年の長岡京遷都をきっかけとして淀川と結ばれ、都と西日本を結ぶ主要水路として大いに発展し、重要な地位を占めていたため、数々の史跡が残っています。
遊女塚もその一つ。

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瀬戸内海方面から京に至る船泊が神崎に停泊するようになり、神崎は「天下第一の楽地」と呼ばれるようになります。法然上人が讃岐国(香川県)に配流される途中、その法話を聞いて罪業の深さを恥じて神埼川に入水した五人の遊女をしのんで立てられたものです。

参考文献 尼崎絵地図(国土交通省 近畿地方整備局 神戸港湾事務所発行)・図説尼崎の歴史

忍たま乱太郎地名巡り(3)

「園田」(地名 園田村として登場)

神戸線では珍しい、高架下を利用したショッピングセンター「園田阪急プラザ」、レンタサイクルがあります。
スーパーコーヨーに、高山堂や、宝塚ホテル、コトブキといった定番のお土産やさんをはじめ、お弁当やさんに、薬やさんに本屋さんに服屋さんにメガネ屋さんに飲食店と一通りそろっています。
西にはりんごマークでわかりやすい待ち合わせ場所や喫茶店があります。

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「善法寺」

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難読地名でもある「食満(けま)」
甲子園球場の焼きそばソースということで有名になり、地ソースブームの火付け役にもなった「ワンダフルソース」の工場、ハリマ食品があります。約2週間かけて木樽で昔ながらの手作業でつくっています。

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「猪名寺」
ショッピングセンターの先駆的存在 つかしん

地名プレートは「猪名寺廃寺跡

「田能」の見どころ

梅・桜・ボタン・バラ・ハナショウブなど季節の花が楽しめる農業公園

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田能資料館
1965年、工業用水道工事現場で発見された日本でも有数の弥生時代の大規模集落址です。住居跡、墓跡、銅剣鋳型、碧玉製管玉、白銅製釧といった装飾品が発見されました。市民・学者の保存への熱意が実り、1969年に国の史跡に指定され、翌1970年に田能資料館をオープンし、出土品を公開しています。
竪穴住居や高床倉庫を復元、遺跡地の一部が史跡公園として整備されました。

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田能資料館から東へ行くと ごみを焼却したときの余熱を有効に利用する健康・スポーツ施設 クリーンスポーツランドを経て 頭上で飛行機の着陸が眺められる迫力満点スポット 千里川土手

忍たま乱太郎地名巡り(2)

「立花」JR立花を始め地名プレートはたくさん見つかります。
駅前の立花商店街も賑わっています。

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「三反田」は条里制のなごりの地名です。

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この看板の裏にあるのが、「五輪卒塔婆
市内では最古・最大と推定されます。東西2面に地蔵、南面に薬師、北面に弥陀の尊像が刻まれています。

「七松」
七松八幡神社は忍たまファンが全国から訪れる聖地。
伊丹・有岡城の荒木一族惨殺の碑がたてられています。

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作者の尼子騒兵衛さんデザインの絵馬もあります。

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「尾浜」
名神ICの近くの尾浜公園には、築山を中心に、池やせせらぎ、総合遊具や休憩所などがあります。春には桜も楽しめる公園です。

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尾浜八幡神社境内には花崗岩製で鎌倉末期創建と推定される宝篋印塔(名月姫の墓)があります。1146年(久安2年)土地の豪族の娘として満月の夜に誕生し、名月姫と名付けられた姫は、時の権力者平清盛に見初められ、許婚との仲を裂かれた絶世の美女。この塔との関わりについての由来が伝えられています。

また名月姫が自害したと伝えられる能勢町にある「名月峠」には、婚礼の行列や「結婚」に関する車は通らないという不文律があるそうです。

大輪田泊築造の際に、人柱にされるために平清盛に捕えられていた父の命を救うため、名月姫が自分が身代りになると嘆願しに向かったという伝説もあります。

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