忍たま乱太郎地名巡り(4)

「久々知」
広済寺・近松の墓・近松記念館・近松公園を中心とした「近松の里」があります。これだけでもかなり見ごたえがあります。
「日本のシェイクスピア」と名高い近松門左衛門は 1653年 福井に生まれ、父が仕官を辞するとともに京都に下りました。京都では一条恵観などの公卿に仕え、やがて浄瑠璃、歌舞伎役者として活躍しました。
1706年以降は大阪に移住。尼崎にも来遊しました。
1724年11月22日、天満に没し、尼崎の広済寺と谷町法妙寺に葬られました。

「曽根崎心中」「冥土の飛脚」「国性爺合戦」「心中天の網島」などは劇作として高い評価を受けています。

近松公園
回遊式の日本庭園を中心に、四季折々の風情を楽しめるオアシス。記念館では、梯子や文机、自筆の手紙などの近松門左衛門ゆかりの品を展示しています。

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広済寺は近松公園に隣接しています。元は禅寺でしたが、荒廃していたところを、日昌上人が、法華経の道場として再興したわけですが、この時近松門左衛門が大いに貢献しました。近松門左衛門墓所は国指定史跡です。

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近松公園から南へ行くと、
「下坂部」昭和の香りがするその名もずばり「下坂部商店街」、「下坂部遺跡」があります。

「次屋」 アメリカンなお買い物が楽しめるコストコがあります。

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あまがさき緑遊新都心COCOEがオープンした
「潮江」には一度に地名が集まるプレートも 

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「潮江公園」というのもありまして・・・バラの時期はとってもきれいです。かつて海岸地帯に堤防を築いてつくられた荘園があり、「塩」と「江」が地名の由来といわれています。

尼崎は、古代は陸地が海に向かい、中世は港町として栄え、近世は尼崎城を拠点として漁業や商業が栄え、近代は工場が臨海地域に次々と建てられ・・というように歴史的に「海とのつながりをもつ市」なのですよ。

「神崎」 
神崎川は784年の長岡京遷都をきっかけとして淀川と結ばれ、都と西日本を結ぶ主要水路として大いに発展し、重要な地位を占めていたため、数々の史跡が残っています。
遊女塚もその一つ。

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瀬戸内海方面から京に至る船泊が神崎に停泊するようになり、神崎は「天下第一の楽地」と呼ばれるようになります。法然上人が讃岐国(香川県)に配流される途中、その法話を聞いて罪業の深さを恥じて神埼川に入水した五人の遊女をしのんで立てられたものです。

参考文献 尼崎絵地図(国土交通省 近畿地方整備局 神戸港湾事務所発行)・図説尼崎の歴史

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このページは、Yukariが2011年7月 4日 01:10に書いたブログ記事です。

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