武庫之荘周辺の文化財(2)

上ノ島弥生遺跡

尼崎最古の遺跡。立花中学校の北西端に位置します。当時使われていた土器や石器のほか炭化米・ブドウ・マクワウリ・フクベ・ヒシなどの植物の種子や建築用材と考えられる材なども出土しました。再現図が描かれています。

アクセス 阪急武庫之荘から47番または15番「裁判所」下車 徒歩5分 MAP

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五輪卒塔婆

三反田町の西南端にあたる八幡宮の跡地にあたります。一石で彫成された方柱状につくられました。この五輪卒塔婆は花崗岩製で、先端から基礎までの高さは221.5cm、地上部分の高さは151cmあります。室町時代の応永年間(1394から1428)の塔と推定され、市内では最古・最大と推定されます。東西2面に地蔵、南面に薬師、北面に弥陀の尊像が刻まれています。

アクセス 阪急塚口から31番「三反田」下車 徒歩2分 MAP

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尼崎市立文化財収蔵庫

市立尼崎高校の前身である尼崎市立高等女学校の公社として建てられた建物を活用しています。尼崎市内の遺跡から発見された考古資料、寄贈を受けた民俗資料を展示し、文化財保護の事業をになっています。

9:00-17:30
休館日 土・日・祝日・年末年始
入館料 無料 玄関での署名が必要です。
団体で見学の場合は事前申し込みが必要です。

アクセス 阪神尼崎から徒歩10分 MAP

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水堂古墳

水堂須佐男神社境内にあります。原形が著しく損なわれていますが、全長約60mと推定される古墳時代前期の前方後円墳です。1962年発掘調査が行われ、後円部から粘土槨に覆われた長さ約9m、幅約0.7mの割竹形木棺が見つかりました。木棺の内側は朱が塗られ、粉骨状になった骨と歯があり、鉄刀、短剣、鉄槍、三角縁三神四獣鏡(径23cm)、胡ろく(矢筒)などが副葬されていました三角縁吾作四獣鏡は奈良県黒塚古墳、神戸市西求女塚古墳と同型鏡です。

アクセス JR立花から西へ徒歩10分 MAP

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水堂宝篋印塔

常春寺境内にあります。総高248.8cmの花崗岩製で南北朝中期頃(14世紀中頃)のものです。尼崎市内に残された宝篋印塔としては唯一ほとんど完全な姿を保っている貴重な資料です。

アクセス JR立花から西へ徒歩10分 MAP

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光輪寺

1531年開基。桃山時代の作風を伝える「顕如上人画像」が保管されています。

アクセス JR立花から南西へ徒歩10分 MAP

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浜田川水論牢死者墓碑

用水確保は農民たちにとって死活問題であり、江戸時代の後半、浜田村と西難波村との間で度々水争いがありました。1764年に起きた騒動は、浜田西側の田に水を引くため、水路をつくったことによるものです。このため村の役職者などが入牢し、全員死亡しました。その霊を弔うため牢死者10名の名前を刻んだこの碑を安永1775年浄専寺境内に建て、戦後現在地に移転されました。毎年4月15日に合同で法要を営んでいます。

アクセス JR立花から30番「浜浦町」下車 MAP

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松原神社

スサノオノミコト・三輪名神とともに崇徳上皇が祀られています。保元の乱に敗れ、讃岐に流される途中、大風雨を避けてこの地に休息した時、村民が、このしろ、はまぐり、かき、よめな、ごぼう、やき米などでもてなしたと伝えられています。その由縁から没後も御霊を慰め、おまつりするに至ったと言われています。

アクセス JR立花から30番「浜浦町」下車 MAP

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東光寺

浄土宗知恩院の末寺で、1593年の創建です。山門の向かって右側には五輪卒塔婆が完全な形をのこしています。蓮華座上に合掌する地蔵立像を刻出しています。写真の向かって左から2番目の阿弥陀坐像板碑は高さ112.1cmで鎌倉時代後期に造立された尼崎では最古の板碑です。古くからこの地域が栄えていた証拠といえるでしょう。

アクセス 阪急武庫之荘またはJR立花から43・49番「今北」下車 MAP

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このブログ記事について

このページは、Yukariが2011年7月12日 16:28に書いたブログ記事です。

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